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第202回 昭和の森自然観察会「土気城址を訪ねて」
開催 
 平成20年10月12日 天気:晴れ
担当指導員
小林義和 佐藤一枝 武田宏子 谷 英男
参加者 
 大人44名                   指導員 21名  合計44名
(写真・報告 赤木光明)
年1回の少しハードな3時間コース、今回は趣の異なる歴史・民族・文化の自然観察会でした。指導員の説明に耳と目は全開、いつもは野草や木々、昆虫や鳥など身近な生き物との関わりを楽しく語る皆さんが今日は別人のよう、感嘆しました。奈良時代、対蝦夷の拠点として城砦(貴船城)が築かれたとのこと。この地がそんな要所であったとはびっくりでした。戦国時代の戦場の跡、今もなお姿を残している空堀、土塁、そして本命の土気城址、道すがらの道標、そして明治の鉄道路跡に名刹と数々を訪ねて多くを学び土気の地がとても身近になった感慨深い観察会でした。

コース・観察ポイント・注意事項等、スタート前の説明に耳を傾ける参加者。

空は澄み渡って高く絶好の観察日和。公園駐車上入口で日向ぼっこを楽しんでいる蓑虫君達に見送られて第1ポイントに向かう。

普段は通り過ぎる御大典記念と刻まれた道標。当時の街道を偲び善勝寺に。

真言宗の極楽法寺が定隆によって善生寺と改名し日蓮宗に、家康から寄進を受け善勝寺となったという名刹。
境内のコウヤマキ、ナギ、モミ、スダジイなどの古木は変遷を見守ってきたのでしょう。

善勝寺境内墓石の後ろは急で深い堀、昔は空堀、土塁に囲まれた砦でもあったとの説明に覗き込む参加者。

城の出入り口であったという所を過ぎると斜面に貴船城(きんねんさま)と碑があり「土気古城」と刻まれていました。

貴船城碑の道路反対側は深い「空堀」。
起伏に富み複雑な地形は守るに易く攻めるに難い要害の地、平山城で戦に弱いのでは思っていた先入観を払拭されました。

土気城址の説明板、地図を辿りながら熱心に読む観察者。

背後の鉄塔工事の時、地下から鉄砲玉と焼け土が出たとのこと。
「ここが土気酒井氏と北条の大軍との主戦場であったのでは・・」と古文書を手に当時を語る指導員。

「いよいよ城内(日航研修センター)に入っていきます。 ここが、二ノ堀(空堀)で、前方にあるのが一ノ堀です。」
ここまで堀はいくつだった?5つ?幾重もの備えに戦の厳しさ武将の凄さを感じました。

本丸跡は、閉鎖中の日航研修センター敷地内にあり普段は入れない。参加者の期待も最高潮、観察会は盛り上がりました。

一の曲輪(本丸)は高台で広々と5500Fとのこと、北端は絶壁、東は丘陵。三の曲輪、二の曲輪と図面を見ながら辿り着き、難航不落の土気城の全体像がイメージ出来たのでした。

最終ポイントは、酒井氏が日泰上人を招いて開いたという本寿寺。境内の見事の巨樹に「これは!スゴイ!」の歓声が飛び交う。これほどのスダジイには、なかなかお目にかかれない。樹形が撮れず残念。
何メートルある?方々から6m、8m、10mと・・早速、手をつないで幹回りを測る。6人の輪でちょうどでした。

紐ではかると7m90。当たった!と、子どもにかえったような楽しい一時を過ごし、集合地に帰りました。
振り返りでは、土気城本丸に入れ感激したとの声が多く今回の企画に大満足されていました。
担当指導員の方々、ご苦労様でございました。